【モーツァルト】カセットテープ500本以上(父のコレクション紹介)

圧倒される数量

今は亡き父は、モーツァルトの大ファンでした。

レコード盤だけでなく、FMラジオで様々な交響楽団が演奏する楽曲をカセットテープに録音してコレクション化していたのです。

その数なんと500本以上!

まずは、そのコレクションの棚をご覧ください。
自作の棚に天井までギッシリとカセットテープが並んでいます。

実はこの棚、玄関のすぐ横に設置されています。部屋に収まりきらなかったという事もあるのですが、「見せる」コレクションにしたかったという思いもあったのでしょう。

近年、音楽はダウンロードしてスマホやPC保存するのが常識ですが、こういうアナログ的なコレクションは見る者を圧倒させる力があります。

実際、初めて家を訪れた人は誰もがこの光景に驚きます。そんな来客に対し、嬉しそうにモーツァルトの話をするのが父の楽しみの一つでもありました。

そして、更に凄いのが題名の下に「ケッヘル番号」まで記入している事。

ケッヘル番号も明記!

「ケッヘル番号」というのは、L.ケッヘル(1800〜1877)が作成したモーツァルトの全作品の年代順による目録につけられた通し番号のことです。
要はモーツァルト作品の世界共通の認識番号

ちなみに、カセットの中身はこんな感じ。

背表紙と同じように楽曲の情報が詳細に記載されています。

このコレクションからも分かるように、父は非常に几帳面な性格でした。モーツァルトだけでなく、自分が興味を持った事については徹底的に調べ上げ、資料をファイリングして一覧表に整理しないと気が済まない。

父の書斎には様々な資料の紙ファイルが数百冊並んでおり、このカセットテープコレクション以上の迫力があります(お見せする事は出来ませんが・・・)。


お気に入りの作品

膨大なモーツァルト作品の中で、父が特に好きだったのは「ドン・ジョバンニ」。

オペラですが内容がストーリーがちょっと変わっていて、遊び人のプレイボーイが主人公。何人もの女性をことごとく誘惑しては捨ててきた男ドン・ジョバンニが最後に天罰を受けるという物語。

なんだかぶっ飛んだ内容ですが、「魔笛」や「フィガロの結婚」と共に、モーツァルトオペラの代表作とされています。

ドン・ジョバンニ

これは全曲「日本語字幕」があり、初見でも分かりやすい動画となっています。


そして、モーツァルトの半生を描いた「アマデウス」も父のお気に入りでした。

アマデウス

映画だけでなく、テレビで放送されたものをビデオに録画して10回以上見ていたと思います。

1984年の映画で、アカデミー賞を8部門受賞した話題作。モーツァルトに詳しくない方でも充分に楽しめる内容になっています。

モーツァルトと同時代に生きたサリエリが自殺を図り精神病院に搬送されるのですが、「モーツァルトを殺したのは私だ!」と驚きの告白をしていくところから物語は始まります。

これはオープニングシーン。


この映画は私も見ましたが、脚本と主演男優の演技が素晴らしい。冒頭シーンから釘付けになり、2時間半があっという間でした。

当時、同じ時期に上映されていた話題作「インディージョーンズ/魔宮の伝説」や「ビバリーヒルズ・コップ」よりもこの映画の方がはるかに面白かった(完成度が高かった)記憶があります。


そして、何と言っても「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」。あまりにも有名な楽曲。題名を知らない人でも、絶対に(ぜ〜〜ったいに)聞いた事があります。

アイネ・クライネ・ナハトムジーク

クラシックをあまり知らない人でも(私もそうですが)、この楽曲の完成度の高さは分かると思います。

父は生前によく「モーツァルトは神様が作った曲を我々に提供してくれているんだ。」と語っていましたが、これはその代表曲と言ってもいいのではないでしょうか。


リラックスしたい時に最高

クラシックには興味がなく、流行りの楽曲ばかり聞いている方も、リラックスしてみたい時に一度モーツァルトを聴いてみて下さい。

日常に喧騒に疲れ果てた身体を癒してくれる効果がありますよ。大げさな言い方をすれば異次元にトリップできる心地よさがあります。

あと、勉強する時にもオススメです。


父の経歴

そんな、モーツァルト好きな父ですが、少しだけ経歴を紹介しておきます。

もう10年以上前にガンで亡くなりましたが、偉大な科学者でした。国内では「ある分野」で名前が知られており、あまり詳しく書くと身バレしてしまうので詳細は伏せて書いていきます。

父は子供の頃から実験が好きだったようで、大学でも遊ぶ事なく一心不乱に勉強。

ザックリ言うと、色んな薬品や粉体を混ぜてその反応を確認する実験。四六時中、大学の実験室にこもって研究を続けていたようです。身体中が汚れるので、白衣を私服がわりに着ていたとの事。

「思うような成果が出ず失敗の連続だった」と当時を振り返り、よく語っていました。

そんな中、努力の甲斐あって、とんでもない研究成果を発表し「工学博士」を取得します。

その後、しばらく国の研究機関でも実験に没頭し、「あるもの」を開発して某メーカーに就職します。

開発品が国内で大ヒット!

増産に増産を重ね、海外にも飛び回り、年中大忙しで働いていた印象があります。家に帰ってくるのもいつも遅い時間帯でした。

様々な団体から数えきれないほどの賞状も貰い、その交友関係も「エゲツない」ものでした。著名人も沢山いたのです。

手の届かない雲の上の存在

自分の父親ですが、子供の頃からそんな風に思ってました。。。

私も、大学卒業後に研究職の道を選択し、1/10でもいいので父のようになりたいと必死に努力してきましたが、全く足元にも及んでいません。
というか、1/100以下かもしれません(笑)。

私は父から一度も叱られた事がありませんが、その背中を見ながら人生訓を多く学んできました。それで充分だったのです。

仕事で疲れ果てた父親が、モーツァルトを聴いて安らいでいる光景が今でも目に染み付いています。


あと、生前ずっと妻(私の母親)と仲睦まじく、「金婚式」を迎えた時、市長からこんなお祝いも頂いていました。

そんな妻(私の母親)も、去年他界。今では二人仲良く天国で暮らしていると思います。